現場に通っているうちに,このプロジェクトの作品名は「砦・トリデ」とかのワードが良いかなあと思い始めています。なにか,周囲の商業的地域の中で静かな暮らしをかたくなに守ろうとするトリデのような気がするんですよね…。
「砦たるオモヤとハナレ」「砦の奥の園」…
まあ,すぐに気が変わるかもしれませんが…。
もしかすると,外壁も少しごつごつした岩っぽいものが良いかもしれませんが,物価高騰がすごいので,お客さんにはいろいろと我慢してもらっています…。泣
さっそく,現場での,空間のプロポーションチェックです。現在制作中の『1/30詳細模型』を覗いた時の感覚と現場で見える空間を合致させ,うまく行きそうかどうかをチェックします。
オモヤ
アプローチに外から近付いていくとこんな感じで建物が見えてきます。
少しづつ近付いて行って,どんな風に空間が見えてくるか…
玄関ホールの奥まで入って,見返したところ。
ここで空間のトーンをまたひとつ下げて,洞窟をぐっているような感じがするといいなあ,と思っています。
そして,オモヤのリビング
寝室外のルーフバルコニー
寝室と玄関ホールをつなぐ階段…
ハナレ
ハナレのリビング。
二方向を庭に囲まれています。
ハナレの寝室。
ブルーシートが垂れ下がっていてよく見えませんが,ここはすごく落ち着いた良い空間になりそうです。
奥行きが深く,身体が守られている安心感が強い空間になりそうです。
このように,この住宅も「庭」がカギとなります。
何とかいい庭にしなければ…。庭が主役で,建築は「従」で良いように思っています。建築が少し控えめで,庭がグッと魅力的に見えるようなかんじがいいなあ…。
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さて,…ということで与太話です…。
前回再掲した「設計教育にまつわる思い」について,あれこれと考えています。「設計教育についての思い」という体裁で記述しましたが,これって,私の建築に対する思いなんですよね,きっと。プレイヤーでありたい,実践者でありたい,現場に立っていたい,という気持ちが強いのかもしれません。
そういったことをあれこれ考えていると,もう一本,同じような思いをつづったものがありました。
ブログ再掲シリーズ・2011年02月02日「設計教育のアマチュア」
さて、今日の話題も先日お話した二年生の設計課題の非常勤講師のことです。
二ヶ月に渡るエスキスを終了し、先日、最終講評会なるものに出掛けてきました。
私が非常勤講師として参加している某大学の設計課題では、二年生五十数人について三人の講師がつき、一人当たり二十人弱の学生を受け持つことになっています。設計課題の設定は、大きく「住宅」というくくりはあるものの、それ以外のことはすべてそれぞれの講師に任されています。三人の講師がそれぞれ、趣向を凝らして、学生の教育上有効だと考える課題を設定するのですが、これがまた、悩みどころなのです。
設計教育のプロでない私が、どんな課題が大学二年生にとって教育上有効か、幾ら考えたって思い浮かぶわけがありません。二十年前の無知な自分がどんな学生でどんなことを考えていたのか、二十年前の無知な自分にもっとも望ましい教育は何か……。
去年の課題では、できるだけ自由に考えさせてあげようと考え、敷地の設定も曖昧にし「仙台市の西公園の何処にでも自分の好きな住宅を建ててよし!!」という課題にしました。
その課題が良い課題だったのかどうか自分でもよく分かりませんが、課題を終えてみると、自分の中にどうにも「後味の悪い感じ」が残ってしまいました。
結局、学生が相手だとは言え、人の作ったものにあーだ、こーだ、とコメントを付けているのが、どうにも自分の性に合わず、居心地が悪いのです。居心地が悪いだけならまだしも、本当であれば、はっきりと「良い」「悪い」を学生に言ってやらなければならない立場であるにも係わらず、それが言い辛い気持ちになってしまうのです。その点をとっても、私は教育のプロにはなれないなぁ、と思ってしまいました。こう見えても、去年はけっこう凹んでいたんです。
そんなこともあり、どんな設計課題がふさわしいかについてはかなり思案しました。それは「建築初心者である大学二年生にとってふさわしい課題は何か」ということでもあり、もうひとつ更に重要なことは、「設計教育のプロでない講師にとってふさわしい課題設定は何か」ということでもありました。
結局、課題はこうしました。
そのとき、私の事務所で進めている住宅の基本設計の終了時期が、設計課題の提出時期と、ちょうど重なりそうでした。その敷地と、クライアントのプロフィール、要望をそのまま設計課題に設定することにしたのです。
学生たちと私の事務所で、同じ課題を対等な条件で設計を進めて行き、最後の課題提出の際には、私も学生と同じように「どう課題を解いて、どんな設計になったか」を発表します。
最初の課題の説明時には、学生にはこう言って置きました。
「君たちには、最後に、私の設計した住宅(の模型)を指差して『あのおっさん、偉そうなこと言った割には、ダサい』と言える機会をあげよう。言える度胸があるヤツは、それだけで評価してやる。お互いに自分の空想して良いと信じた建築を前にして、対等に喧嘩しよう!」
そんな課題の効果はテキメンでしたね。
もちろん「設計教育のアマチュア」である自分にとって、です(笑)。学生にとって、どうだったかは知りません……。
私は、学生のやってきた模型やスケッチを前にして、好きなことを思いっきり言う事が出来ました。
結局、「建築家」であり「建築の作家」である自分には、一般的なことは言えないんですよ。自分の立っている場所を定めて、今作っている手の感触からしか、何も言えないんです。それが本当に学生のためになっているかどうかは、自分には分かりません。
最終講評会の席で、居並ぶ設計教育のプロたち(大学の先生方)の学生の発表に対する積極的な発言を聞いていると「やはりプロだなぁ、これの真似をしようとしても、敵うわけがないなぁ」と思い知らされる気がしました……。
T島